杭州市内から車で1時間ほどの、緑がうっそうとした山の中にあるお寺です。
径山寺は、杭州市余杭区径山鎮の径山にある臨済宗の仏教禅寺で、
南宋の五山の一つ。
正式名称、径山興聖萬壽禅寺。
径山寺の全体の雰囲気はこんな感じでした↓
さて、お寺と茶道の話です。
「径山茶宴」
これが日本の茶道の源流になっているとも言われます。
「禅茶祖源」
お寺の中には径山のお茶が、禅茶の源であることを紐解く展示が行われていました。
修行していた径山寺からお茶を持ち帰って静岡に広めた」
円爾(1202年11月1日~1280年11月10日)、鎌倉時代中期の臨済宗の僧。
宋に渡航して無準師範の法を嗣う。
無準師範は径山寺の第34代の住持。
『与円爾印可状』(えんににあたう いんかじょう)は、嘉熙元年(1237年)10月、無準が円爾に書き与えた印可状。
「道無南北」の文からはじまるこの墨跡は、円爾が径山に上った翌年に与えられた。東福寺蔵。国宝。
(この写真はウィキペディアより)
静岡にお茶を伝えた円爾(聖一国師)が、この径山寺で修業していたのですね。
さらに円爾から数十年して、再び日本から径山寺に修行に来た僧がいます。
南浦紹明(なんぽじょうみょう、1235年~1309年2月9日)
鎌倉時代の臨済宗の僧。現在の静岡県静岡市葵区井宮町にあたる駿河国安倍郡安西井宮村の出身。道号は南浦。勅諡号は円通大応国師。
1259年(正元元年)宋に渡って、虚堂智愚(1185年~1269年)の法を継いだ。
この虚堂智愚は径山寺の第40代の住持です。
日本から修行に来た僧侶と、径山寺の住持との関係図。
南浦紹明の門下には、門下には大徳寺を開山した宗峰妙超(大燈国師)がいます。
南浦紹明が、虚堂智愚から法を受け、天目茶碗や台子、風炉・釜等の皆具一式を持ち帰り、それを筑前(福岡県)の崇福寺に伝えたのが台子(点前)の始まりであると言われています。
径山寺から掘り出された天目茶碗。
そうして、宋代-鎌倉時代に径山寺から僧侶たちが日本に持ち帰った茶道の源流が、日本の臨済宗の寺で開山忌に行われる四頭茶会として従来の形式のままよく保存されていた。と中国では説明されています。
【建仁寺で行われている四つ頭茶会に関して】
臨済宗建仁寺派の大本山・建仁寺は、臨済禅とともに茶種、喫茶法を中国から持ち帰った栄西禅師(1141~1215)が、建仁2年(1202)に創建。4月20日の誕生忌に催される四つ頭茶会は禅院茶礼の伝統を今日に伝えています。裏千家では13代家元 円能斎宗匠の時、明治18年(1885)から6月5日の開山忌に献茶式を行うのが恒例となっています。
(裏千家ホームページより https://www.urasenke.or.jp/archives/textm/headq/soke/kencha/ken15a/ken15a-19/ken15a-19.html)
四つ頭茶会は、他に鎌倉の円覚寺などで行われています。
中国では、清末の頃から徐々に寺の中での茶道の伝統は失われ、一度消失しています。径山寺もかなり荒廃した状況だったようです。
それを1980年代になって、日本の臨済宗からの協力もあり再建することになり、日本に伝わり残されていた四つ頭茶会が再び中国にもたらされ、現在では再び径山寺でも行われています。
だから、現在の径山寺で使っている茶筅などが全て日本と全く同じものなのですね。
径山寺の「径山茶宴」の手順を図で示したもの。
日本とほぼ同じなのは、日本から逆輸入する形で復活した背景があり。
お寺の中の茶道具展示コーナー
径山寺の全体図。
山の中にあるお寺ですが、周りは茶畑に囲まれています。
お寺の茶畑で採れた「径山茶」が商品化されています。
径山茶は、緑茶です。日本の緑茶とは違い茶葉の形がそのまま残っています。
宿でいただいた径山茶はこんな感じでした。
お寺の境内を奥に進むと、観光客のあまりこないエリアに「禅堂」があります。
↓静かな禅堂。日々僧侶の人たちが修行を行っています。
そして、禅寺の裏には「茶畑」が。
そこに「禅茶祖源」の碑が立っています。
碑の裏側
茶畑の様子↓
広がる茶畑。遠くに杭州の市内がうっすらと見え。
杭州に行く機会があったら、ぜひ1泊プラスで足を延ばしてほしい場所です。
径山寺
WeChatの公式アカウントでは、季節ごとのイベント情報などが配信されています。
入場料は普段は30元ですが、私が行った観世音菩薩の成道の日は無料開放されていました。
(記録メモ:2023年8月5日に行ってきました)